石川 永世 (いしかわ ながよ)
シンガーソングライター、作詞作曲、ギターリスト
ボーカル講師
現在都内ライブハウスでライブ活動中
■先ずは 2008年より欧州サッカーに開眼。そして2009より故郷のジュビロ磐田にも熱い声援を!
■チームとか イングランドのマンチェスター・ユナイテッド。ジュビロ磐田!もっと生観戦したい!
■音楽とか プリンス、ジミヘン、ポールブレイディー、ジョンドイル、カーネーション、マチート、フェラクティーETC
■ギターとか ES 335 HISTORIC COLLECTION '63 / TELECASTER AMERICANVINTAGE '64 /
Taylor LTD 414ce-R
■続音楽とか オーティスレディング、JB、玉置浩二、小坂忠、マービンゲイ、マイルス ジムホール、ジョンスコ ETC
■旅行とか キューバ/アイルランド-我が心の故郷/中華民国-バンド時代、台湾っ子を前にライブ決行
■テレビ番組 サッカー、野球、WOWOWの"世界のボクシング” ウォーキングデッド
■映画 そもそも20歳の頃バイトの帰り八重洲の名画座で見た『ブレードランナー』がきっかけで....
■本 相変わらず読んでます。
■格闘技 UFCかな。やっぱメジャーは迫力が違います。 世界のボクシング WOWOWさんですね。
黎明期  小学校3年〜5年

小学校3年頃より微熱少年となり、運動を一時止められ、行き場の無いガキンチョエネルギーを
音楽に注ぎ込む。

学校では音楽クラブに所属、プライベートではエレクトーンを習いはじめ、クラシック音楽にも目覚める。

5年生ごろになると映画音楽のエアーチェック(懐かしい響き)を開始。いわゆるマセガキでした。


ロック開眼期  小学校6年〜中学校3年

小学校6年の時、従兄弟の家で見たキッスのポスターに衝撃を受け、その翌日キッスの
名曲『デトロイト・ロクシティー』をエアーチェックする幸運に恵まれる。そこからはロック街道まっしぐら。

当時は他にクイーン、エアロスミス、ブラックモアズレインボーなどをよく聴く。
T定規をギターに見立て、鉛筆で弦を書き、紐をつけ肩からかけ踊る事で、噴火寸前のロックなエネルギー
をなだめていた。その時のBGMはいつもセックス・ピストルズの『アナーキー・イン・ザ・ UK』だった。
(とても正しい気がする。)

中学1年で、親にアンプとセットになったレスポールもどきを浜松のデパートで買ってもらい、
晴れてギター小僧となる。次第にジェフ・ベックやサンタナなどのギタリストに心奪われていく。
(でも初めて弾いたギターソロは『ジョニーの子守唄』by アリスであった。まあ、そんなもんだろう。)
学校ではブラスバンド部に所属し、クラリネットを担当。すでに音楽三昧な日々であった。         


ロック開眼期  小学校6年〜中学校3年

高校入学と同時に、ブラスバンド部に所属し、再びクラリネットを担当。
高校2年から指揮者となり、高3、最後の文化祭のステージで、 
指揮台の上でエレキ・ギターを弾くという、アンドレ・プレビンばりのパフォーマンスをする。
思い出していて、うんざりするくらいの、目立ちたがり屋ぶりであった。

プライベートでは、友人達とバンドを組み磐田の楽器屋で練習したり、袋井の映画館でライブをしていた。
しかし!何故かそれが担任の耳に入り、バンド禁止令が出る。(まだ高1だったのに...)
厳し〜い田舎の進学校であった。(まあ勉強しなかったからなぁ.....)

その後は、検閲を逃れるべく地下バンド活動に入る。(懲りなかったということ。)

ブラバンという事もあり、クラシックと軽音楽をむしゃむしゃ食べていた。
クラシックではブラームスがお気に入り。(青春だなぁ・・・・)
軽音楽部門では、マハビシュヌ・オーケストラやアランホールズワース、
渡辺香津美(浜松公演を見に行き大感動)からパットメセニー、
ジム・ホールへと、ジャズ方面へ指向性が傾いていく。

大学進学(正確に言うと浪人)と音楽学校への入学の間で心揺れるが、
結局、東京の某音楽専門学校のプロ養成科(ジャズギター)に入学することになる。


              ・・・・歌い出すまであと10年・・・・
      
          上京〜は次回X月に更新予定。乞うご期待!
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自己紹介
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ということで。。。。。
私の音楽遍歴
2015年5月 1年ぶりの更新(それにしても音楽の話題が少ないなぁ。。。。)